我が家では、お腹の中にいる胎児さんを「モルガナ」と呼んでいます。旦那さんの好きなゲームに出てくるネコの名前。響きが気に入ったから使ってます。
だからここでも、胎児さんのことは「もるちゃん」と書いてます。
手術の前日
もう、もるちゃんの命の火が消えたとわかったからか、もうつわりはなく、寒気も吐き気も全く感じなかった。
体が不調な時って何もする気が起きなかったのになぁ。
ふっきれたからなのか、つわりが終わったからなのか、悲しいことを考えないようにするためなのか。
いろんな意味で、家事をする意欲はそれなりに復活してきました。
それと同時に、体調が悪いからと旦那さんに家事を押し付けたり、食事は簡単なものばかりになったり、食べづわりだからと食べ物を欠かさなかったのも、今回の私の特別モードの「姫」期間はもう全部終わるのかと残念に思ったりもしました 笑
今夜くらいは、旦那さんとゆっくり話してお腹の中にまだいるもるちゃんと最期の夜をすごそうと思っていたけど、息子を寝かしつけてから隣の旦那さんを見ると、すでにうとうと。
そうだよね。まぁ仕方ないかと、私も寝ました。
いよいよ手術当日の朝
いつもより1時間くらい早いかなぁ。布団のつなぎ目で寝てたらからか体に違和感を感じて、3:30ごろに目が覚めてしまいました。
手術当日は絶食で来院だと言われていたので、ご飯は食べれない。
仕方ないので、スマホを見ながら、ぼんやりしてるうちに、旦那さんも起きました。
起きたのは早かったけど、ぐっすりは眠れました。
8:00。実家に息子を預けるために、まずは小松へ向けて出発しました。
小松の実家に着くと、子守受け入れ体制で待っていてくれて、息子を降ろして、じゃあよろしく!と告げて、旦那さんと二人で松任の病院に向かいました。
8:55。病院に到着。
まずは、先生からの説明
担当看護師さんに書類を渡し、血圧はいつものセルフの機械で測ってから、先生からの説明を受けました。
旦那さんには私がわからないなりに伝言しただけだったので、画像も見ながらの初めてのちゃんとした説明です。
『身体の中には、腔(くう)と呼ばれる空間(腹腔や胸腔)があり、そこに水が溜まることがあります。初診(8w)で心音がありました。しかし、胸腔に水が溜まる胸水もみられました。
1週間後(9w)の診察では、体内の水は増え、心不全となり、全身の皮膚の下にも水が溜まり、胎児浮腫という状態でした。
このまま胎児を放っておくことは通常しないので、2週間以内に取り出す手術をします。
それをこれからやりますね。』
思い出せる言葉で抜粋すると、そんな感じの内容です。
前回の妊娠でも担当していただいていた先生で、穏やかな印象だけど安心できる方。ゆっくりと、わかりやすく、優しく、話してくれました。
そして、どうやら今回は流産のなかでも、かなり珍しい例だったらしいです。何が珍しいのかは、説明されたかもしれないけれど、よく覚えてない。
昨日も説明は聞いたはずだけど、こんなに珍しいことなのかと改めて理解しました。
なるほど、それで昨日検索しても、あんまり同じような事例には出会わなかったんだなぁと。(もう少し週数が経ってからの胸水の話しか情報がなかった)
今回のようなケースの流産は、先生も長く産科医をやってるけど、今回がなんと2例目。
ちなみに、1例目の方は、出産未経験で3回連続で同様の流産を経験し、諦めずにその後出産を果たしたそうです。
私の場合は、1人目の出産で元気な子を産んでいるので、遺伝的な要素は少ないかとは思うが、こういった例もあるので、次もこの傾向が続くかどうかは言い切れないということでした。
明確な原因があるわけではなく、対策のしようがあるものでもない。今回はたまたま起きたこと。
そうそう、出産って奇跡の連続だもんなぁ。
流産の説明書には「自然淘汰」という言葉もありました。私はここは受け入れている価値観なつもりなので、無理に生かすものでもないし、それもこの胎児が選んだタイミングと人生だったと尊重したいなと思ってます。
今回のもるちゃんは、生まれてこれない運命の肺と心臓の持ち主だったんだね。そうかそうか。
しかも、繊細なママには堪えるから、長く心配かけたくないから、早めに生死を示してくれたんだなぁと、小さな愛を感じた。
我が夫婦を選んできた命、やっぱただもんじゃない優しい子だよなぁ。
私は聞きながら、そんなことを考えていた。
内診〜術前
続いて内診。
これが最後の姿なんだなぁと思いながら、モニターを見てました。
経産婦だからかな。「このままいけるね」という判断になり、事前にこじ開けるような手順はせずに進めることになりました。
手術は11時頃の予定でしたが、10時頃に早めることになり、そのまま隣の部屋のベットに案内されました。
9時半ごろ。術前の処置を開始。
お尻に注射をする。点滴をつける。血圧を測るなど。この段階では、特に体の変化は感じない。
注射も苦手ではないので、チクっとはしたけどそんなもん。看護師さんとも楽しく会話をしながら、術前の作業は進んでいった。
旦那さんは処置のときは廊下で待っていました。
旦那さんにももちろん、事前に計画書には目を通してもらってはいるけど、二人とも初めてのこと。スケジュールや流れなんてよくわかってない。そして、彼は忘れっぽいし、人に聞くことを遠慮して我慢する性質がある。
だから、看護師さんには、旦那さんは待ち時間の目安や、出かけていいタイミングがわかるように、声かけをしてほしいとお願いしました。
ちょいちょい待ち時間があったので、旦那さんとおしゃべりしながら、手術までの時間を待ちました。
何を話してたかな。しんみりはちょっとだけで、あとはくだらないいつもの感じでしゃべってました。
いざ、手術!
手術時間は10分程度。結構短いのね。
「では、そろそろ時間です。移動しますね。」と看護師さんから声がかかる。
旦那さんとはしばしお別れ。
看護師さんは「手術は診察の合間に行われるので、多少時間が伸びることもあるが、始まるのが遅くなっているだけなので、心配ないですよ」と、旦那さんにちゃんと伝えてくれました。
私は、点滴が繋がったまま、看護師さんに導かれるままに隣の部屋に行きました。手術する場所は扉のすぐ向こうだったのね。近い!
病院の間取りってすごく考えられてるよね。って今はいいか。
さて、下は全部脱いで、ゴロンと台に仰向けに寝ます。
手術用のベットは、普段の診察の時のように足のうらを置くタイプではなく、ふくらはぎを置くような感じでした。
台が上がり、少し背もたれも倒れていく。
準備する音も話してる声もわかるし、まだだいたい意識はある。
言われるがままに、口をぼんやり開けて顎を少しあげた感じで呼吸をする。手早く周りの人たちが動いている。先生が来る。
眠くなる薬が入りますよ〜のあと、点滴のあたりを何かしてるなぁとか、鼻と口にドラマで見たマスクを被せられて、、、、。
初めての麻酔も手術も終わりました。
術後はまた、さっきの待機してたベットに戻ってきました。
ずっと起きていたと思うんだけど〜って看護師さんには話してたんだけど、時間が経つにつれて、あれ、違うかもなぁとも思えてきました。
これ10分もないかなぁ(どこからどこまでで10分かも知らないくせにね 笑)、やっぱり途中のこと覚えてないかも、やっぱり寝てたってことか?とか混乱しながら。記憶って曖昧。笑
ゆっくり考えてみると、マスクをかけてからの記憶がはっきりしない。
次の記憶は、パンツ履かせてもらっているところ。ここは確実に起きていました。
朝みたいに目が覚めたっていうはっきりした感覚もなかったから、直後はずっと起きてたと勘違いしたのかもしれない。
何はともあれ、痛いことも全然なく、それくらい、ぼんやりなうちに、手術は無事に終わったってこと。
術後、ベットから降りるのも、隣の部屋の待機ベットに戻るのも、想像してた以上にしっかりしていました。でも薬がまだ効いているから、無理と過信はしない方がいいということでした。
旦那さんも来て、またしばらくおしゃべり。
昨日、ある程度泣いたしか、まだ週数が早かったしか、もるちゃんのはっきりした意思表示に感じたからか、息子の存在があったからか。
何でかはよくわからないけど、不思議と悲しさはあまりなかった。
10:30手術終了。
もるちゃん、またね。
次はどんな姿で会えるのかわからないけど、今回のあなたとのご縁は忘れないよ。
たくさんいるなかから、私をママに選んで会いに来てくれて嬉しかったよ。ありがとうね。
2ヶ月、よく頑張ったね。
これからは空から見守っててね♡
術後はゆっくり休む時間
手術の後、グッと寝ると聞いていたけど、全然寝なかった。だから、また眠くなるのかなぁとか思いながら、旦那さんとしゃべっていました。
なんだか喉?いや鼻の奥が痛い感じ。水を飲んでもいいか聞いて、旦那さんにお茶を買ってきてもらった。
昨晩の暖房でやられたかなぁと最初は思っていたけど、朝はそうじゃなかったわけで、きっと手術中のあのマスクの影響かも!と気づいたのはしばらくあとでした。またも記憶曖昧。
そうこうしてる間に、薬の説明も聞いて受け取りました。
トイレに行きたいときは、ナースコールで呼んでねと言われていたので、付き添ってもらっていきました。ずっと横になってたし、術後だし、一応歩けたけれど、歩き始めたら少しだけ頭はぼんやりした感覚もありました。
術後のおにぎりは、感動的においしい!
12時ごろ、移動の声がかかり、車椅子で2階の病室へと移りました。部屋で軽食のお昼ご飯を食べました。
当たり前だけど、旦那さんの分はないので、ここからは各自の自由時間。14時にまた、と解散しました。
お昼ご飯は、おにぎり、水菜とほうれん草の味噌汁、白身魚の煮付け、パイナップル。
絶食でお腹も空いていたから、この一口目のおにぎりが美味しくて仕方ない。
食べると気持ち悪くなる人もいるので、無理せずゆっくり食べてくださいねと言われていたので、普段なら5分でペロリで物足りないような量を30分かけてゆっくり食べました。十分お腹は膨れました。
忘れずに1回目のお薬も飲みました。
退院
ここからも眠るのかなぁ、いや、眠くないなぁとか思いながら、家族や手術するって伝えた人に報告を入れたりしてるうちに、あっという間に14時でした。
旦那さんも戻ってきて、看護師さんの連絡が入ったので、1階の待合室に降りました。
あとは会計だけなんだけど、ここから1時間くらい待ったんだよなぁ。
そんなこんなで、私の流産手術は無事に終わりました。
その後がまたすごかった
あとは旦那さんの用事や買い物を済ませて、実家に戻って、17時。
留守番を頑張った息子は、お昼寝もせず眠たい
けど寝れず、私たちの帰りを待っていました。よく頑張ったね。息子も、子守してた大人も。ありがとね。
それからは旦那さんの休憩タイム。やっと付き添いの大役が終わり、明日も仕事なので、一人になれる部屋で休んでていいからねと。
私は、思った以上に元気だったので、息子の要望に付き合って遊ぶ係をやりました。これまでのつわりの不調よりも全然ラクだし、気持ちも明るい。今思えば、まだ術後の妙なテンションだっただけなのかもしれないけれどね。(その後思い知ることになる。)
夕食を食べて、今夜は旦那さんは帰宅。私と息子は実家に宿泊。
夕食後、眠さの限界を迎えた息子はほぼ寝そうだったけど、立ち上がったらまた覚醒して、それから全然寝ない。。なぜだ。。
そしてなぜだ、さっきまで全然平気だったのに、急に私のお腹が痛い。手術のときの薬が切れてきたからなのか?でもなんとなく、これは子宮じゃなさそう。
調子に乗って、胃腸への負担より、食べたいものを優先してチョコパンを食べてしまったバチがあたったのかな。
体は産後と同じなんだぞ!って釘を刺さしに神様がきたようにも感じた。
はい、すいません。無理せず体をいたわります。明日の朝ごはんはうどんにしようと決めた。そして、明日も実家に泊まることにした。
旦那さんには、ゆっくりしてほしいから今日はもう連絡はしないねと言ったけど、やっぱり感謝は伝えておきたくて、LINEで「連絡しないと言ったけど、やっぱりひとつだけ。」とメッセージをして、次の文を打っていたら、珍しくすぐ電話がかかってきた。
いや、電話かいな。とも思いつつ実はお腹が痛くなったことや、息子が寝る気配がないこと、明日も泊まることにしたい、ゆっくりしてねと伝えて、電話を切った。
そして、改めて、感謝の気持ちはメッセージをした。
2日間はシャワーのみだから、お息子のお風呂は今日はいいやと思ってけど、あまりに寝る気配がないから入れることにして(姉が入れてくれた)、結局21:40就寝。ふう。
息子と寝るときのこと
絵本を読んだ後、眠そうだったからくっついていつものように歌って寝かしつけようと切り替えました。
特に子守唄は決まってないから、何気なくよく歌っているからと「きらきら星にしよっか」って歌いはじめたんだけど、そしたら無意識にぶわぁっと涙が溢れてきた。一瞬自分でもわからなくてびっくりした。
♬キラキラ光る、お空の星よ。瞬きしては、みんなを見てる。キラキラ光る、お空の星よ
♬キラキラ光る、夜空の星よ。みんなのうたが届くといいな。キラキラ光る、夜空の星よ
この歌詞が、もるちゃんと私たちのことを歌った歌に感じたんですよね。
だって、昨日、お腹の赤ちゃんは空に帰ったよって息子に話したし、さっき最後のお見送りをしてきたところだもんね。
くそーっ、キラキラ星が特別な歌になって歌いにくくなるんじゃないやろかーとか思いながらも、寝かしつけもしたいし歌もやめたくない。
(追記:4ヶ月後、普通に歌えてます 笑)
だから、泣きながら、息子が眠るまでは歌うことにした。
4回くらいリピートしたかな。声も震えて、涙も溢れて、うまく歌えなかったけど、これもきっと届いてるんだろうなぁって思ったから、愛を込めて歌いました。
こんな気持ちを一人でそっとしておけなくて、まだ起きていた母と少し話して、テレビを見て、気持ちも落ち着いたので、部屋に戻りました。
それから結局これを書き足し始めて、今25時30分。術後なんだから、早く寝ろよって感じだけども、今日の出来事も、今日の気持ちも、曖昧になる前にどうしても言葉にしておきたくて。
2019年12月9日(月)、10日(火)
そして、その前の2ヶ月間のマタニティライフ。
私にとって、一生忘れない大切な歴史が増えました。
さようなら
ありがとう
愛してるよ
またね
おやすみ☆彡
※④に続く
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